考え事

大学に入ったら武道がしたい。

サッカーからバドミントンへ転職した高校時代。

男子一色から女子一色。

客観的には後者が羨ましがられるが

主観的には前者の方が気が楽だ。

…ようは慣れるまでは孤独だったと。

でもそれは次の事に比べたら大した問題じゃない。

ずっとサッカーしかやらなかった俺には異世界だった。

スマッシュの轟音と共にシャトルがこっちにぶっ飛んで来る緊張感。

さらにそれを返すテクニックとコントロール

時には弾き返してやるのもいい。

まさに「最高」。

そんな世界を今まで知らなかった自分。なんとも惜しいと思った。

だから今度はスポーツの世界から抜け出してもっと広い視野で見たくなった。

でも身体を存分に動かしたい。そ〜なれば武道しかない。でしょ?

それにあの「静」の緊張する雰囲気がなんとも言えない。

あれを身にまとったら何か見えるのか?

とても興味がある。

そして短い間だったが合気道を経て、太極拳に出会った。

それは「舞」であると同時に「武」であった。

現在はスポーツとしての太極拳、武道としての太極拳に分かれている。

じっちゃん達が毎朝公園でやってるのは前者の方。大会はこれ。

うちらがやってるのは後者の方。ちなみに伝統太極拳って呼ばれてる。

ただとりあえず一年間武道に触れてみたけど、色々考えさせられる。

まず一番に思うのは、武道やってても一生使わないで終わったら意味ねぇーじゃん。

って事だ。

だからよく武道は精神論を説いて、やる意味があるんだ、と必死に抵抗してるみたいに思う。

合気道はその色が濃かったので辞めた。誰もじ〜さんの長話聞くために入ったんじゃないっての。

「昨日外務省の人にあってねぇ、戦争がねぇ、かくかくしかじか・・・・では始めましょう。」

その話、稽古かんけーねー。

そっから何かを学べって言いたいのかも知れないが、心に全く響きません。てかホントに世間話だし。

話が脱線したが、人生の尺で考えれば武道によって色々な出会いなどの財産が生まれたのでめでたしめでたしになると思う。

ただそれが本当に武道なのかは謎。人生かけてみなきゃわからない。

次に実戦でできるかって事。

合気道でポンポン人を投げ飛ばすじいさんはいましたが・・・。

あれも歴代でも、そうはいないだろう。

実際本気で向かっていった事は勿論無いので分からないけど。

ただボクシングに勝てるのか?と聞けば、

「そういう話しではない」と言った後、精神論になる。

それは絶対馬鹿げている。

暴力に勝てないで何の武道なんだ?意味ないッス。

だから合気道の最終日に失礼を承知で師範に本気で殴りかかってみたかった。

そんなにお偉い師範ならどれだけ強いのか。ぶん殴られてもいいから体験したかった。

合気道の極み「九段」の人。

本気で倒しに行って投げられたら俺は弟子入り志願してたかもしれない。

どちらかと言えば武道の凄さを見せ付けて欲しいけど。

ただそれで師範が「嘘」なら、逆に殴り飛ばしてしまったら、ただの老人虐待で逮捕なので踏みとどまった。

てか、んな大それた事を先輩達がさせるわけがねぇし。

最後に、ごちゃごちゃ言うとりますが僕は武道の何たるかは全然理解してない。

ど素人。形を少しマネできる程度。

でも最近太極拳の「気」みたいのが感じる事ができた。

それで勿論波動拳は出ないけど。

自分に今「気」が有るか、無いかだけは分かる。

言葉で言うと伝わらない感覚だけど、意識と集中が混ざった感じだと思う。

それはやっぱりいきなりやっても出なくて、稽古を2時間くらいした時にようやく少し出てくる程度。

そこにも太極拳、武道の面白さがある。あと礼儀も大事だし。

4年間やってみて見える事もあるって師範は言う。

何とかそれを見てみたいと思う。